アーシャ・ジョイ・メソッド
2016.02.05 Friday 11:05
先日、久しぶりに東京で開催されたアーシャ・ジョイ・メソッドのWSで、つい最近思いついた新しいイメージ法を試してみました。
いつもは、新しい方法を思いつくとしばらくの間は自分自身で試してみてからみなさんにお伝えするのですが、今回はなんとなくGOな気持になり、参加者のみなさんの智慧を信頼してそのままお伝えしました。結果、それぞれに素晴らしい意識体験をしてくださったようでとても嬉しかったです。
私の瞑想誘導は、基本的に、自分が創っている宇宙(世界)を観る視点を根源的なところに導く、ということだけです。なぜ思うことがそのまま3次元リアリティに反映され具現化されるのか、その理由を「自分で」知ることで、自分なりの意識のメカニズムを構築することができます。それは実はとてもシンプルなメカニズムなのですが、世の中のたいていのことがそうであるように、それは難しいこと、と思わせられているために、貴重な体験をなかなか信じきれないという人たちも多いように感じます。
真我に出会い、融合していく体験は、自分の本質がそうであったと完璧に納得させられます。もし疑いが出てくるようなら、それは疑似体験であったか、出会ったけど融合していないか、だいたい本質的な自己認識は定着してきたけど少し自分の視点がずれている、ということのお知らせです。それにいち早く気づき、元々の視点に戻る方法を、できるだけ簡単なやり方でご紹介するのがアーシャ・ジョイ・メソッドの目的のひとつです。だから、本質的な自分としてこの世を生きたいと願う人にはお役に立てることも多いかもしれません。
瞑想はカタチや理論ではなく、体験重視の感覚的なものだと私は思っています。肉体と感情のパートをもった、精巧な自分の宇宙船の操縦技術を高め、ひとつひとつの現象を喜びをもって深く味わうための。
昔、沖縄だけで開催していたハッピーシャーマンスクールでは、それを「究極の自己中」と呼びました。宇宙の中心は「私」であり、その中心から生み出される波が、そのままその宇宙全体に広がっていく。鏡のように鎮まりかえった水面に落ちた一粒の水滴が波紋を創り、360°果てしなく広がっていく、あんなかんじです。
だから、生み出された波が愛に基づくものであれば、愛に基づいた宇宙がそこにできる、というわけです。そしてだんだん欲に磨きがかかると、自分の宇宙には悲しみや苦しみがない方がいいと思うようになります。そんな人たちや現象が自分の宇宙に存在しませんように、と願うようになります。平和な世界を望むなら、まず自分の世界を平和にすることが一番の近道であると言われる理由です。(この点に関しては補足したい部分もありますが。。)
愛は悲しみを癒し、孤独を消します。痛みを痛みでなくし、苦しみを苦しみではなくします。見返りを求めない、無条件の愛だけがONENESSを生み出します。それはうんと小さなことから始まります。ほんの些細な日常の中で。たくさん練習して、じょうずにいつでも思いのまま愛のマジックを使えるように自分を訓練するのは、とてもやりがいのある探求です。私はその道を歩いているのだと思います。アーシャ・ジョイ・メソッドは、たくさんの愛のマジシャンを生み出すための方法なのかもしれません。
自己実現。最も大切なことは、喜びをもってそれを実現する、ということなのだと思います。
いつもは、新しい方法を思いつくとしばらくの間は自分自身で試してみてからみなさんにお伝えするのですが、今回はなんとなくGOな気持になり、参加者のみなさんの智慧を信頼してそのままお伝えしました。結果、それぞれに素晴らしい意識体験をしてくださったようでとても嬉しかったです。
私の瞑想誘導は、基本的に、自分が創っている宇宙(世界)を観る視点を根源的なところに導く、ということだけです。なぜ思うことがそのまま3次元リアリティに反映され具現化されるのか、その理由を「自分で」知ることで、自分なりの意識のメカニズムを構築することができます。それは実はとてもシンプルなメカニズムなのですが、世の中のたいていのことがそうであるように、それは難しいこと、と思わせられているために、貴重な体験をなかなか信じきれないという人たちも多いように感じます。
真我に出会い、融合していく体験は、自分の本質がそうであったと完璧に納得させられます。もし疑いが出てくるようなら、それは疑似体験であったか、出会ったけど融合していないか、だいたい本質的な自己認識は定着してきたけど少し自分の視点がずれている、ということのお知らせです。それにいち早く気づき、元々の視点に戻る方法を、できるだけ簡単なやり方でご紹介するのがアーシャ・ジョイ・メソッドの目的のひとつです。だから、本質的な自分としてこの世を生きたいと願う人にはお役に立てることも多いかもしれません。
瞑想はカタチや理論ではなく、体験重視の感覚的なものだと私は思っています。肉体と感情のパートをもった、精巧な自分の宇宙船の操縦技術を高め、ひとつひとつの現象を喜びをもって深く味わうための。
昔、沖縄だけで開催していたハッピーシャーマンスクールでは、それを「究極の自己中」と呼びました。宇宙の中心は「私」であり、その中心から生み出される波が、そのままその宇宙全体に広がっていく。鏡のように鎮まりかえった水面に落ちた一粒の水滴が波紋を創り、360°果てしなく広がっていく、あんなかんじです。
だから、生み出された波が愛に基づくものであれば、愛に基づいた宇宙がそこにできる、というわけです。そしてだんだん欲に磨きがかかると、自分の宇宙には悲しみや苦しみがない方がいいと思うようになります。そんな人たちや現象が自分の宇宙に存在しませんように、と願うようになります。平和な世界を望むなら、まず自分の世界を平和にすることが一番の近道であると言われる理由です。(この点に関しては補足したい部分もありますが。。)
愛は悲しみを癒し、孤独を消します。痛みを痛みでなくし、苦しみを苦しみではなくします。見返りを求めない、無条件の愛だけがONENESSを生み出します。それはうんと小さなことから始まります。ほんの些細な日常の中で。たくさん練習して、じょうずにいつでも思いのまま愛のマジックを使えるように自分を訓練するのは、とてもやりがいのある探求です。私はその道を歩いているのだと思います。アーシャ・ジョイ・メソッドは、たくさんの愛のマジシャンを生み出すための方法なのかもしれません。
自己実現。最も大切なことは、喜びをもってそれを実現する、ということなのだと思います。